日常生活の中で感じたこと考えたことなどを書いています。(不定期更新)
2006年/2005年/2004年2003年  建築・都市彷徨今週の一枚 
○2005年11月27日(日)
欠陥住宅を防ぐためための具体的な対応策について
マンションの構造計算書偽造事件は、事態の深刻さが日を追うごとに明らかとなってきています。まずは事実を解明し、責任の所在をはっきりとさせることが求められますが、それで事態が沈静化するのでしょうか。同じ業界に身を置くものとしては、漠然とした不安だけが社会全体に広まっていくことが一番心配です。
こうした問題を目の当たりにすると、これから住宅を手に入れようと考えている人にとっては、一体何を信じたらいいのか疑心暗鬼になってしまいます。そこで欠陥住宅を防ぐための具体的な対応策を挙げてみました。

【第3者の建築士に図面や物件をチェックしてもらう】
最近は、こうした利害関係のない公正中立な立場で、住宅をチェックしてくれる専門業者もいます。医療分野で進むセカンドオピニオンの考え方ですね。
通常の設計料の他に別途費用がかかりますが、家族の安全や欠陥住宅による保証リスクを考えると、必要なコストだと割り切ることが大切です。業者のなかには、第3者が介在することを嫌う場合もありますが 信頼のおける業者であれば積極的に受け入れてくれるのではないでしょうか。

【住宅性能保証制度を利用する】
JIO:日本住宅保証検査機構
財団法人 住宅保証機構
主要構造部に瑕疵(欠陥)が発生した場合、引渡しから10年間は保証が受けられる制度です。メリットとしては専門の検査官による現場検査が行われること、施工業者が倒産しても保証が継続されることなどがあります。
費用は一戸建住宅であれば15万円程度です。ただし施工業者が保証制度に加盟していることが条件となります。

いずれにしても、二重三重のチェック体制でリスクを軽減させることになるのですが、ここまでしなければ人を信用できないというのも世知辛い世の中です。 今回の事件が大きく社会問題化したことで、業界全体の構造的問題や不備が明らかにされたことがせめてもの救いなのでしょうか。

 
 
   
   
   
   
 
○2005年10月23日(日)
思わぬ形での再会となりました
先日新聞を見ていたら見覚えのあるなつかしい名前を発見しました。
そこには若手の現代美術家として友人のお兄さんが紹介されていたのです。高校生の頃に数回会った程度なのですが、当時のことがなつかしく思い出されました。

大学受験を目前に控えた高校3年生の頃になります。
試験勉強に明け暮れていた僕は、一つだけ心配事がありました。それは試験科目の一つに挙げられていた、石膏デッサンの実技試験。絵を描くこと自体は好きだったのですが、それまで石膏デッサンなんて描いたことはありません。どうしたものかと困っていると、
「兄貴が芸大を目指して毎日デッサンの練習をしているから教えてもらえば」、と友人が助け舟を出してくれました。
友人の家にお邪魔すると、お兄さんがにこやかに迎えてくれました。時間がなかったので、限られた試験時間の中で、いかにポイントを押さえたデッサンが描けるかを中心に教えてもらうことになりました。初めてのことでなかなかコツがつかめず、随分と迷惑をかけてしまったのではないかと思うのですが、嫌な顔一つせず丁寧に教えてもらうことができました。
そんなことでむかえた実技試験当日。試験会場となった教室に置かれていたのは、友人の家で何度も練習をしたアグリッパの石膏像。これには思わずガッツポーズが出ました。というのも「いくつもある石膏像をあれこれ練習するよりも、どれか一つに絞ったほうがいいよ」というアドバイスから、アグリッパに賭けていたのです。特訓の成果もあってか、我ながら満足のいくデッサンができ、大学にも無事合格することができました。短い時間だったのですが、多少なりともデッサンの心得を教えてもらうことで、精神的にも余裕を持って試験に臨むことができたのが大きかったと思います。
それから10年以上がたちます。当時教えてもらった細かなアドバイスはほとんど忘れてしまったのですが、一つだけ覚えていることがあります。それは、
「うまく書こうと思わなくていい、大切なことは対象をよく見ることだ」
という言葉。当時は見るだけでデッサンがうまくなるわけでもないのにと思っていたのですが、先入観にとらわれることなく、無心になって対象に接しその本質を理解することは、デッサンだけでなくあらゆる場面において必要なことなのだと今更ながらに実感しています。
今回、思わぬ形での再会となりましたが、お兄さんのこれからの活躍が楽しみです。

 
 

AGRIPPA

   
○2005年8月28日(日)
問題を先送りしてきた代償はあまりにも大きなものになりました

先日、自宅に使われている鉄骨の耐火被覆材について、アスベストが含まれていないか調べて欲しいと依頼を受けました。
現場を訪れてみると、ピロティとなった1階の駐車スペースの鉄骨に、耐火被覆材が外部に露出した状態で吹付けられています。その場では何とも判断がつかなかったので、一部を持ち帰り、公的な検査機関に詳しい成分分析をお願いすることにしました。
一連の騒動の影響で、結果が出るまで随分と時間がかかりましたが(今では1ヶ月待ちの状態だそうです)、検査結果はシロ。アスベストは含まれておらず、一同ホッと胸をなでおろしました。

アスベストは天然素材でありながら、安価で耐火性・耐久性に優れていることから、これまで様々な建物で使用されてきました。
身近なところでは、古い鉄骨造の建物(マンション、ビル、駐車場等)の耐火吹付け材や、住宅の屋根や外壁に使われる建材などがあります。どちらも現在は殆ど使われていませんが、一部の建材については、近年まで市場で流通していたため、不安が広がる要因となっています。
吹付け材に関しては、1975年以前に建てられた鉄骨造の建物には、耐火被覆材としてアスベストが吹付けられている可能性が高く(1975年に原則使用禁止となりましたが、1980年まで一部アスベストを混合したものが使用されていました。)、こうした飛散性のあるものについては、除去や封じ込めなど早急な対応が必要になります。
また建材に関しては、他素材と混ぜ合わされ固定化された成形品であることから、通常であれば空気中に飛散する心配はありませんが、建材が破損したり、建物の改修や解体の際には、飛散する危険性があります。今後、老朽化した建物の更新期を向かえるにあたって、解体作業時の飛散防止策を徹底していかなければなりません。

アスベストが原因とされる住民の健康被害が表面化してから、マスコミでもこの問題が大きく取り上げられ、社会問題として広く認知されるようになりました。これまで危険性が指摘されていたにもかかわらず、行政の不作為や業者の馴れ合いの連鎖が、問題を深刻化してきた事実は否定できません。問題を先送りしてきた代償はあまりにも大きく、建設業に携わるものとして、アスベスト製品を安易に使用し続けた事実を重く受け止めなければなりません。

■アスベスト問題 動向と対策

■中皮腫・じん肺・アスベストセンター
■社団法人 日本石綿協会

 
○2005年4月22日(金)
このところ新聞やテレビでは連日のように中国各地の反日デモについて伝えています

このところ新聞やテレビでは連日のように中国各地の反日デモについて伝えています。日本大使館への投石を行う中国人の映像を繰り返し見せられると、中国に対する感情的な反発も、日に日にエスカレートしていくような気がします。過剰な反応は抑えて、冷静に対処すべきだとは思いますが、果たして事態はうまく収拾するのでしょうか。

TV画面の中で反日を叫ぶ中国の若者の姿を見て、僕はかつて中国で出会ったひとりの学生のことを思い出していました。
それは10年程前のことになります。修士論文を書くためのフィールド調査で、僕は中国のハルピンを訪れていました。ハルピンはかつて「極東のパリ」とも呼ばれた美しい街並みが現存する、中国東北部の黒龍江省の省都です。当時のハルピンの街は、中国の他都市と同様に、古い建物が次々と取り壊され、あちこちで再開発工事が進められていました。ものすごい勢いで発展し、急成長をとげようとしている都市の熱気に圧倒されながらも、資料収集や実測調査などを行っていました。
そんな時にたまたま現地の大学で知り合ったのが、ツァイ君です。大学で日本語を勉強しているという彼は、日本人の若者に会うのは初めてだと、人懐っこい笑顔で話してくれました。フィールド調査を手伝ってもらえないかというお願いにも、こころよく応じてもらい、時間の許す限り調査に協力してもらうことになりました。
彼は自分と同世代の日本人が何を考えているのか、さかんに知りたがっていたので、政治や経済のことよりも、どうすれば女の子にもてるのかそんなことばかり考えているよと言うと、僕と同じだと素直に喜んでいました。
ハルピン滞在中に、日本人だということで不快な思いをすることは特になかったのですが、不意に過去の歴史問題について意識させられた瞬間がありました。それは旧市街の住居を案内してもらった時のこと。一通り写真を撮り終えた後で、彼が僕に向かってこう言ったのです。
「さっきのおばあさんには、君の事、上海から来た学生だと説明しておいたから。※」
それは、この辺りには日本人に対していい感情を持っている人が少ないからという彼なりの配慮でした。直接的に反日感情をぶつけられたわけではありませんが、それまであまりにも無自覚であった自分がとても恥ずかしくありました。

「過去のことに傷ついている人が大勢いるのは事実だけれど、そんなことにいつまでもこだわっていたら、僕たちはいつまでたっても発展しない。それよりも日本のいい所をどんどん学ぶべきだと思う。少なくとも僕のまわりにはそう思っている人が多いよ。」
日本について語る彼のそんな言葉に、これからの中国はものすごい勢いで成長し、あっという間に日本を追い抜いていくのだろうなと実感しました。彼は将来、上海で日本人相手のビジネスがしたいと語っていました。果たして今回の反日デモは彼の目にどんな風に映ったのでしょうか。

※中国は国内でも南部と北部では言葉が通じないのだそうです。

HARBIN  10/1996
 
○2005年2月27日(日)
他人を信用できない社会というのは子供たちにとって大変不幸なことです

先日、大阪で刃物を持った少年が小学校に侵入し、教師を殺傷するという痛ましい事件が起きました。こうした事件が起こるたびに、学校の安全性や防犯対策について議論されます。しかし議論が繰り返し行われているにもかかわらず、同じような事件が後を絶ちません。子供たちが安心して教育を受ける環境をつくり出すことはできないのでしょうか。

一昨年事務所の近くにある中学校でも、刃物を持った不審者が校内に侵入する事件がありました。
その日事務所で仕事をしていると、近所の人が「中学校が大変なことになっている。」と駆け込んできました。事務所の窓から学校の方に目をやると、大勢の人々が中学校を取り囲み、TVカメラを抱えた報道陣も続々とやってきています。何事かと外に出て中学校に近づくと、刃物を持った少年が、校舎の屋根の上で警察官とにらみ合っている光景が目に飛び込んできました。これまで新聞やTVの中だけの出来事だと思っていたことが、自分の目の前で起こっているという現実に大きな衝撃を受けました。幸いけが人もなく少年は取り押さえられましたが、太陽光に照らされ反射する刃物の生々しさがいまでも脳裏に焼きついています。
こうした事件が起きると子供の安全を守るため、学校の周りを高い塀で取り囲みセキュリティを強化して、不審者の侵入を阻止すればいいと安易に考えてしまいがちです。しかし刑務所のような学校で子供たちが楽しく授業を受けられるはずがありません。学校の周りの高い塀は、そのまま子供たちの心の中で心理的な壁となって、他者への不寛容という影響を与えるかもしれません。本来学校は社会に対して開かれるべき存在です。過度な防衛はその存在意義を失いかねません。求めらているのは「開かれた学校としながらもいかに子供の安全を確保するのか。」ということだと思います。しかしそのバランスの取り方が難しく、そこに学校関係者のジレンマがあるのでしょう。
さんざん言われ続けていることですが、 やはり重要なのは地域社会との連携なのではないでしょうか。学校の中だけで対応できることにも限度があります。できないことは地域に協力を求めることが必要でしょう。我々地域住民からも日常的な交流を積極的に働きかけ、人の目が行き届き気配が伝わるような環境をつくり出すことです。先生や地域住民の人々から見守られているという安心感こそが、最も必要なことのなのではないでしょうか。問われているのは学校のあり方だけでなく、地域社会のあり方なのだと思います。
学校はそもそも子供たちにとって楽しい空間であるべきです。その前提に立った上で有効な方法を見つけていかなければなりません。他人を信用できない社会というのは子供たちにとって大変不幸なことです。

「学校をつくろう!」
工藤和美著 TOTO出版
 
○2005年1月9日(日)
阪神大震災からもうすぐ10年が経とうとしています

阪神大震災からもうすぐ10年が経とうとしています。当時のことを思い出すと、神戸で出会ったひとりのおばあさんの言葉が今でも忘れられません。

僕が被災地を始めて訪れたのは、震災後4ヶ月ほど経過した頃でした。大学の授業で、まちづくりのボランティアを募集しているという話を聞き、友人と参加することにしたのです。その頃の神戸の街は、震災の爪跡の生々しさも幾分和らぎ、あちこちで瓦礫の撤去作業が進んでいました。住民の多くは未だ避難生活を余儀なくされていましたが、日常生活の中で徐々に笑顔を取り戻しつつある、そんな時期でした。僕たちが訪れた地域は神戸市長田区で、最も被災のひどかった地域の一つです。もともと地域住民の交流が活発で、地区内の公園整備といった住民主体のまちづくりにも実績のある地域でした。そこで問題となっていたのは、地区の半分が震災後の区画整理事業区域に指定され、残された地区との間でうまく整合性の取れたまちづくりができないという点にありました。そこで地域住民が主体的に地区全体のまちづくり案をまとめ、行政にそれを認めてもらおうと、積極的に活動していたのです。我々の役割は、第三者の立場で彼らの活動をサポートすることにありました。
区画整理を行う場合、換地といって宅地の再配置が行われることがあります。様々な条件や意見を調整しながら、土地の入れ替えを行う方法です。いくら地域のまとまりがしっかりしているからといって、そんな利害の絡む話し合いが一筋縄でいくものではありません。様々な意見の対立があり、時には怒鳴りあいの喧嘩になることもありました。そんな中で、全体の配置がある程度まとまりそうな段階になって、計画は思わぬ展開を見せます。それまで黙っていたひとりのおばあさんが、土地の配置換えを頑なに拒み始めたのです。理由を聞いてもはっきりと答えてはくれません。おばあさんが同意してくれれば、全てがうまく納まります。さんざん問答が続いた後でおばあさんは最後にポツリと答えました。
「私が同意すれば全てがうまくいくことは分かっているけれど、ここは息子や孫が死んだ場所だからどうしても動きたくない。」
その場にいた誰もがその言葉に対して返すべき言葉を見つけることはできませんでした。どれだけ理論的に説明し頭では理解できたとしても、それは人の気持ち(心)を超えるだけの力を持つものではありません。その一言に都市計画やまちづくりの難しさの本質をがあるような気がしました。
あれから10年が経とうとしています。いま同じ言葉を投げかけられた時に僕は何と答えたらいいのか、その答えはいまだ分かりません。

 
 
 
 
 
KOBE  06/1995
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