日常生活の中で感じたこと考えたことなどを書いています。(不定期更新)

2006年2005年2004年/2003年  建築・都市彷徨今週の一枚 

○2003年12月26日(金)
スーパースターになると同時に失わなければならなかったもの
先日、マイケル・ジャクソンが少年への性的虐待容疑で起訴されました。彼は事実無根だとして、徹底的に法定で争う構えを見せていますが、世界的なスパースターなだけにその結末はどうなるのでしょうか。
マイケル・ジャクソンといえば、以前プラハを旅した時のことが忘れられません。ベルリンから乗り込んだ列車で、たまたま同じコンパートメントに乗り合わせたスウェーデン人の若者から、マイケル・ジャクソンの久し振りのワールドツアーがプラハからスタートすることを教えてもらいました。そう言われてよく見ると、列車内は同じような若者が数多く乗り合わせています。スウェーデン人の若者は、いかにマイケルが素晴らしいかを興奮しながらひとりでしゃべり続け、最後には他の乗客とマイケルの歌を歌って大いに盛り上がっていました。大変な時に来てしまったなあと思いながらも、それはそれで楽しいかもしれないと思ったりもしました。プラハの町の印象もどこかしら大きなイベントに浮き足立っているような感じで、マイケルの泊まるインターコンチネンタルホテルの前には大勢のファンが詰めかけ、大音量でマイケルの音楽を鳴らしながら、皆一様に興奮していました。そんな様子を何となく見ていると、隣で一緒に見ていたツーリストが僕に向かって道路の先の丘の上に立つ銅像を指差しました。プラハの目抜き通りの直線上の丘の上にちょうどアイストップのように銅像が聳え立っています。国王や為政者の銅像だろうぐらいに思ってよく見ると、何とマイケル・ジャクソンの銅像ではありませんか。これにはさすがに腰を抜かすほど驚きました。ヨーロッパの各都市ではどこからでも目に付くような要所には必ずランドマークとして記念物が造られています。それは都市の骨格を形成する上でも重要な役割を果たしています。それがプラハという少し前までは社会主義国家であった都市のど真ん中に、突然商業主義の権化ともいうべきスパースターの銅像がランドマークとして表れたのです。軽いめまいを覚えたのと同時に、ホテルの最上階の部屋から時折手を振るマイケルのすごさにただ唖然としました。
以前テレビでマイケル・ジャクソンの素顔に迫る内容のドキュメンタリー番組を放映していました。そこには世界のスーパースターというよりも、恐ろしく神経質で孤独な一人の男の姿が映し出されていました。社会の作り上げる虚像と本人の姿のギャップに、彼がスパースターになると同時に失わなければならなかったものの大きさを感じさせられました。
PRAHA  09/1996
 
 
 
○2003年12月20日(土)
本棚はあまり他人に見せるものではありません
先日、年末の大掃除を兼ねて自宅の本棚を整理しました。我ながら雑然とした本棚だと思いながらも、徐々に整然と並べられていく本を見ていると、自分の頭の中も整理されていくようで、気分もすっきりとします。
いつも思うことなのですが、本棚ほどその人の人となりを雄弁に物語っているものはないような気がします。その人が普段何を考え、何に興味を持っているのか、本棚に並べられた本を見ればあらかた想像がつくのではないでしょうか。友人の家に遊びに行ったりすると、自然に本棚に並べられた本の背表紙を眺めていたり、テレビや雑誌などで書棚が映ったりすると、そちらにばかり目が行ってしまうこともよくあります。そう考えると本棚はあまり他人に見せるものではないのかもしれません。そこには自分の頭の中を覗き込まれて、全てを見透かされてしまうような切実さがあります。
学生の頃、建築・デザイン関連の洋書を扱う書店でアルバイトをしていたことがあります。書棚にどの本をどんなレイアウトで並べるか、自由にやらせてもらっていました。書店の書棚のセレクトも、いってみればその店のイメージを作る上でかなり重要なものです。店の売上にも直結するだけに、それなりに神経を使いながらも、自分なりに楽しんでやっていました。魅力的な店というのはなんでも揃っている大型店よりも(それはそれで必要なのですが)、その店のオーナーや店員の人柄がにじみ出ている店だったりします。そういった意味でも、神保町の古本屋街は一癖も二癖もある書店が多く、書棚を何となく眺めながら、だらだらとはしごするだけで楽しくて、よく通っていました。
ところで大掃除の方はというと、なつかしい本をペラペラとめくっているうちに本を読むことに夢中になり、全くはかどりません。これだけはいつもの事ながらどうしようもありません
 
   
○2003年11月15日(土)
スローハウス宣言
CASA BRUTUSという雑誌が今月号で、「スローアーキテクチャー」を特集しています。ここ数年すっかり定着したスローフード、スローライフに続いて次は建築に注目というわけです。
その中で、スイス人建築家ピーター・ズントーが取り上げられています。彼はスイスの田舎町ヘルデンスタインを拠点としながらも、世界中の建築家に影響を与えるような、珠玉の作品を数多くの残しています。彼の生み出す静謐な建築空間は、限られた素材で構成されながらも、光・水・風・音といった自然の要素を効果的に配することで、空間に詩的な豊かさを生み出しています。彼は雑誌のインタビュー記事の中で、建築を創造する際に最も重要な要素は「場所」であるとして、地元産の素材を使い、その土地の持つエネルギーを生かしながら固有の場をつくり出したいと語っています。
少し前の日本でも、家をつくる際はその土地の気候風土で育った材木や素材を使って、地元の職人たちが手間をかけて一軒の家をつくることが当たり前でした。それが安い輸入材や新建材が大量に流通し、住宅メーカーによる工場生産のプレファブ住宅が大量につくられることによって、いつの間にか国産材の木造住宅はひどく特殊な住宅のひとつになってしまったのです。国産材が使われなくなった結果、国内の林業は衰退し森林は荒れ果ててしまいました。先日のカルフォルニア州の山火事は、荒廃した森林の放置が被害拡大の原因になったとも言われています。
最近になって、自然エネルギーを積極的に取り入れた自然素材を使った家づくりが注目を集め、近くの山の木で家をつくるといった産直住宅の運動が各地でさかんに行われるようになりました。時間が経てば汚れみずほらしくなるだけの新建材の住宅よりは、時間が経つにつれ色艶が出て味わいが深まる自然素材の住宅に人々の関心が向かうのも無理はありません。我々は家づくりを考える際に、どうしても経済性、効率性、機能性を第一に考えてしまいがちです。しかしもう少し多様な考え方をもったスローな部分にも目を向け、こうしたスローハウスとも言うべき住まいづくりをもう一度見直す必要があるのかもしれません。
VALS/SUMVITG  12/2001
 
○2003年10月30日(木)
リノベーション/コンバージョンという選択
いつ頃からか街に新しい建物ができても、そこに輝かしい未来を見て取ることが出来なくなりました。20世紀後半の日本は、高度経済成長の波に乗り「スクラップアンドビルド」を繰り返し、発展し続けてきました。まだ十分に使えそうだと思っていた建物が、ある日突然取り壊され、真新しい建物が現れる。そうした繰り返しが都市に活力を与え、その成長を支えてきたのです。少し前まではそれが当たり前のことと思われていました。
21世紀になって、これまでのような高い経済成長が見込めず、地価は下落し、少子高齢化により人口も減少を続ける。そんな様々な問題が顕在化する中で、これまで当たり前だと思われていたことを見直す動きが広がっています。それは建物を消耗品(フロー)から大切な社会資本(ストック)として捉え直し、古い建物に新たな価値を加えて再生していくリノベーション(改修)やコンバージョン(機能転換)という運動です。古い建物は街の中でも比較的立地条件の良い場所にあることが多いものです。また味わい深く、趣のある建物も少なくありません。そうした建物の持つ潜在的な価値を発見し、そこに新たなデザインやアイデアを付加することによって、新しい空間を生み出す。今まで不良資産として見捨てられていたものに、新たな価値を生み出し再生させる。社会が成熟し個人の価値観も多様化する中で、こうした運動は新しい建築や都市(まちづくり)のあり方を考えるヒントにもなるでしょう。
昨年からいくつかのリノベーション/コンバージョンの仕事をする機会に恵まれました。その仕事を通して学んだことは、
・お金がなくても頭(知恵・想像力)を使えば何とかなること
・工事中には予期せぬトラブルが必ず起こること
・その度に途方にくれながらも乗り切ることで新たな発見があること
空間の再生は簡単そうに見えて、決してひと筋縄ではいきません。何度も何度も高い壁に行く手を阻まれながらも、へこたれずに前に進んでいかなければなりません。すると今までの障壁がうそのように視界が開ける瞬間があります。これからもその瞬間を目指してささやかな挑戦を続けたいと思っています。
 
 
銭湯→ギャラリー: 東京台東区
 
 
町屋→喫茶店: 岐阜市
   
○2003年10月11日(土)
いつでもどこでもiPod
最近、天気のいい休日などは愛車(マウンテンバイク)で、あちこち散策に出かけています。ポケットにiPodを入れて,、お気に入りの音楽を聴きながら、街中を颯爽と走り抜けるのは、なかなか気分のいいものです。iPodとはApple社製のHDD内蔵ポータブルプレーヤーで、簡単に言ってしまえば、何百枚というCDを取り込むことができる高性能なウォークマンのようなものです。しばらく前に家電量販店の店頭で見かけ、その無駄のないシンプルでスマートなデザインに見とれ、,衝動買いしてしまいました。デザインの美しさもさることながら、何千曲という音楽を、どこにでも自由に持ち歩くことが出来るという優れものです。今までは外出する度に、どのCDを持って行くかで悩んだりしたものですが(そんな時間が結構楽しかったりします)、これ一台あればそんな悩みからも解放されます。持っているCDをあらかた取り込んでしまい、最近は殆ど肌身はなさず持ち歩いています。
それにしても本体の美しさだけでなく、パッケージを含めた細部に至るまで、徹底されたデザインには目を見張るものがあります。開ければ捨ててしまう梱包材まで美しくデザインされたその姿に、Apple社の企業戦略(ブランド力)の秘密があるように感じられました。iPodは製品としてみれば、必ずしも誰にとっても使い勝手の良いものではありません。それよりもただひたすら、かっこよく楽しく音楽を聞くことだけにこだわって作られているところに、iPodの魅力があるのでしょう。日本の家電メーカーからは、こういった製品は絶対出てこないだろうと思います。
 
○2003年9月13日(土)
レニ・リーフェンシュタールさんが亡くなりました
先日、ドイツの女性映画監督レニ・リーフェンシュタールさんが亡くなりました。101歳でした。新聞の片隅でこの記事を目にした時、まだ生きていたことに正直驚かされました。類まれなる才能を持ちながら、ナチスの協力者という烙印によって、決して大きく評価されることはありませんでしたが、彼女の生み出す映像の美しさには魅せられるものがありました。
彼女のことを知ったのは「プロパガンダと映像表現」といった内容の大学の講義だったと思います。ニュルンベルグで開催されたナチス党大会の記録映画「意思の勝利」や、1936年に開催されたベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」などの作品は、純粋な映像表現だけを見れば、斬新なアングルや様々な撮影技法へのこだわりなど、映像作品としては非常に完成度の高いものでした。彼女の悲劇は、美しい映像表現を追求すればするほどに、ヒトラーの大衆への影響力が増し、人々を破滅へと導く結果となってしまったことです。
戦後映画の道を閉ざされた彼女は、写真家としてその表現領域を拡大していきます。アフリカの少数民族をテーマとした作品や、70歳を過ぎてから始めたスキューバーダイビングによる海中撮影など、死ぬ間際まで創作意欲は衰えることがなかったといいます。彼女をここまでさせたのは、芸術家としての創作意欲もさることながら、生涯晴れることのなかった自分自身の名誉回復のためだったのでしょうか。それにしても時代に翻弄されながらも、表現することに対する強靭な意志には驚かされます。
 
 
 
NURNBERG  12/2001
   
○2003年8月17日(日)
映画はやっぱり大勢の人たちと見るものです
最近映画館で映画を見ることがめっきりと減りました。時間的な制約もあるのですが、もっぱら家でビデオとかDVDを見ることが多くなっています。
学生の頃、近所にロードショー館やミニシアターなど、数多くの映画館があり、時間があればよく通っていました。もっぱら通っていたのはミニシアターで、安い料金でロードショーを終えたばかりの映画やアジア・ヨーロッパの良作を集めて上映したりしていました。
夏になるとそうした映画館は、サラリーマンの格好の休憩場所になるのか、後ろの席でいびきをかいて寝ていたりしましたが、誰も怒ったりする人はいませんでした。そんなミニシアターで一度だけたった一人で映画を見たことがあります。
平日の朝一番の上映で、映画館に入ると観客は僕一人だけ。その内、他の観客も入ってくるのだろうと思っていたものの、いつまでたっても誰もやってきません。とうとう映画の始まるブザーが鳴り映画が始まりました。いくらなんでも一人だけなんてことはないだろうと、周りが気になり映画どころではありません。いくら映画に気持ちを集中させようと思ってもなかなか集中できません。結局映画が終わるまで誰一人としてやってはきませんでした。客席の明るくなった時の、あの居心地の悪さは今でもはっきりと覚えています。広い映画館で、たった一人で映画を見るなどという贅沢は、きっとこの上なく気分のいいもんなんだろうと勝手に思っていた僕は、やっぱり映画は大勢の観客と一緒に見るものなのだと痛感しました。
映画館というのは不思議な空間です。映画を見るという同じ目的のために、全く見ず知らずの人たちが集まり、2時間程度の限られた時間の中で喜怒哀楽を共有し、映画が終わればまたどこかへと分かれ帰っていく。ある意味で映画館は都市空間そのものであって、映画の暗闇の中に身を沈める心地よさは、都市の雑踏の中に身をおく匿名性の心地よさと言えるのかもしれません。
ちなみにたった一人で見た映画はJLゴダールの「アルファビル」でした。
 
○2003年8月3日(日)
ITが全てを解決してくれるわけではない
ホームページを公開して一週間がたちます。インターネットを通して「鷲見工務店」のホームページをはじめて見た時、これで世界と繋がったのかとさすがに興奮しました。
一週間がたって何かが劇的に変わったかといわれれば、特に何も変わったことはありません。ホームページを公開したからといって、仕事の依頼メールが殺到したとか、問い合わせの電話が鳴りっぱなしで仕事が手につかない、といったことは起こるわけもなく、普段と変わらぬ毎日を送っています。
我々はインターネットのようなIT(情報技術)に対して、何かしら過度の期待をしているところがあって、ITで仕事の問題も全て解決できるなどといった幻想を抱いてしまいがちです。それは豪華なシステムキッチンを導入したからといって、急に料理の腕が上がるわけがないのと同じことです。大切なのは、何をどう伝えるのかという中身の質なのであって、ITはそのための道具でしかないと、今更ながら実感しています。
ホームページを公開してまだ一週間しかたっていませんが、その可能性についてはこれからいろいろと模索していくつもりです。少しでも良質なサイトになるように努力していきますので、今後ともあたたかく見守りください。
 
○2003年7月28日(月)
ロシア・アヴァンギャルドのユートピア
先日、多治見市のセラミックパークMINOへ「ロシア・アヴァンギャルドの陶芸展」を見に行ってきました。ロシア・アヴァンギャルド運動の中でも陶磁器に焦点を当てた展覧会で、200点近くの陶磁器作品や、運動の中心的人物であったロドチェンコのデザインした家具、食器、衣服といった作品の再制作展示「ロドチェンコ・ルーム・プロジェクト」もあり、貴重な作品を実際に手に触れ、体験することが出来る展覧会でした。
そもそもロシア・アヴァンギャルド運動というのは、ロシア革命前後に起こった新しい世界のあり方(ユートピア)を模索する近代芸術運動です。それまでの既成概念を打破し、新しい時代の新しいカタチを模索する動きが、様々な芸術分野において花開き、当時のヨーロッパの人々を魅了したのです。

僕がまだ 学生だった頃、モスクワを訪れる機会があって、その当時建設された建物を、地図を片手に探し歩いたことがあります。現存しているかどうかも分からず、大した期待はしていませんでしたが、いくつかの建物を見つけることができました。建物自体はかなり老朽化が進んでいたものの、幾何学形態が自由に組み合わされた建物からは、見る者を圧倒するだけの力を、今でも十分に感じとることができました。中でも僕が特に驚いたのは、近所の人たちが特に意識することもなく日常的に使い続けている姿でした。
ロシア・アヴァンギャルド運動そのものは、1930年代に政治的な弾圧もあって急速に収束していきます。その後の歴史を考えれば、建物が残っていること自体、既に奇跡としかいいようがありません。しかも人々の生活に根ざし、時代を超えて使われ続けている姿に、当時の芸術家が追い求めたユートピアの一端を、垣間見られたような気がしました。
人の痕跡が拭い去られ、抜け殻だけが取り残されたように保存された建物が多い中で、建物を残すことの意味について考えさせられました。
 
 
 
MOSCOW 10/1994
   
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